思ってるほど着地点は変わらない

周りがみんなできていて、自分だけできないことに憤りを感じたことはありますか?

 

誰しも一度はあるはずです。

何もかも恵まれてそうな人でも、なにか一つはできないことがあるはず。

 

私は幼少期から「周りの子よりできない」子供でした。

集団生活に入ってからは日々コンプレックスの塊。

今になってみると狭い世界だけど、子供時代の学校は自分の世界の大きなシェアを占めます。

そんな世界の中で、「できない子供」は遠慮することを覚えます。

傷つきたくない。できない自分をさらけ出したくない。

 

時は過ぎ、中年になると・・ふと周りを見渡せば、学生時代にキラキラしてたアイツ・・今は普通に地元のスーパーで会い、新しくできた商業施設に足を運び、子供の成長と共にいきるお父さんやお母さん。または独身で旅行や飲み会を楽しんでたり。

学生の時に感じて壁ほどの生活水準の差が無くなっています。

 

子供のころ感じた「自分だけできない」は、将来を大きく左右するほどのものでもなかった。

ということは、今やらかしている事も40年後を左右するほどの事由にはならないだろう。

 

自分の能力不足にいちいち落胆しなくて大丈夫だったようです。

 

さて、出し忘れてた燃えないゴミをまとめてきますね。

大丈夫、次回出せれば同じこと。着地点は変わらない。